心の垢離

さしずめ文章の家庭菜園のようなもの。

【デレステ】「幸せの法則」コミュに関する記事

ネムリヤモリです。まさかこの話題で記事を書く日が来るとは思わなかった。

同日2本というありえぬハイペースですが、このことについて言及しておかなくては気持ちがスッキリしないので続けて書きます。

よろしくお願いいたします。

 

 

 

ことのあらまし

まず申し上げておきたいのは、私が元モバPであるということです。鷹富士茄子さんを担当していました。

 

つまり出番(新規イラストやセリフ等)を待ち望んでは総選挙の結果に一喜一憂していた層の一人ですね。

実装当初からおそらく人気はあったのだと認識していますが、彼女にはなかなか声がつきませんでした。冷静に考えるとアイドルコンテンツで担当声優が決まってないのヤバイな。非常にデリケートな話題なのでこれ以上触れないことにします。

 

色々あって第7回の総選挙で結果を出し、めでたく彼女にもボイスが実装されました。

ところが、それまでの期間が長かったために私の中で声のイメージが固まってしまい、お披露目を聴いたその瞬間に「なんか違うな」と感じてしまったのです。

もちろん公式(運営)からすれば「お前のイメージなど知るか」という話なのは明らかですが、私にとってその違和感は致命的でした。今後イメージと違う声で展開されるであろう彼女の物語を、これまでと同じように受け入れる様がどうしても想像できず、シンデレラガールズというコンテンツから距離を置きました。我ながら英断だったと思います。

 

また、それとは別にデレステのコミュはたいへん評判が悪いです。

個人の好みの範疇を含むと思いますが、①カタルシスにつながらない過度なアイドル同士のギスギス展開 ②単純に性格が悪い黒モブ ③「うなずく」に代表される、いるんだかいないんだかわからないのにヨイショされるプロデューサー(登場人物) などの要素が、少なくとも私がプレイしていた頃は目についていました。

 

 

以下は、そうした環境から逃げ出した私がよせばいいのに件のコミュを見に行き、プロデューサーぶっては憤死した経緯です。お察しのとおり、決して愉快な話ではありません。

 

鷹富士茄子というアイドル

この記事の要点は、当該コミュがこれまでの彼女をないがしろにしかねないものであったと、そう私が感じたということです。

そのために、彼女のどこを魅力的だと捉えていたのか述べてみます。

まず、そのビジュアルが挙げられます。顔立ちやスタイルに関してだけではなく、ちょっと浮世離れした神秘的な雰囲気が「正統派和風美人」とひとことで片付けられない奥行きを醸し出していることですね? それはFateシリーズでいうところの「神性:E-」だと私は認識していたんですけれども。どうでもいいですね。

次に、口を開けばお茶目なお姉さんというギャップ。近寄りがたい高嶺の花ではなく、つい親近感を持ってしまうある種の危うさみたいなもの。かといっておとぼけなだけに留まらず、自分の考えを確立していて達観したような向きもあり……それが先の神秘性につながっていくわけで、魅力として考えられるのはだいたいこのあたりでしょうか。

 

まあ声がついた時点で私にとっての神性E-は失われていたものの、当該コミュによって一層そのことが強調された格好です。

 

コミュの中身について

まず「幸せとはなにか」という、言ってしまいますが幼稚な問題提起。

幸運の女神とも称される彼女ですから、その程度の問いはとっくに通り過ぎた道のはずです。出典がないので私の妄想なんですが、そのへんの自問自答をせずに20年生きてきて、あの微笑みが出せるとは考えにくい。

 

そして年下に人生相談するという図式。

劇中では桃華とほたるに相談を持ちかける姿が見られました。これも以前の彼女を踏まえるならば少なからず違和感のある描写です。むしろ悩むほたるの相談に乗るのが自然ではないでしょうか。

といっても、前述のとおり私の中でイメージが固まってしまっているので贔屓目にしか見ることができないというか、実際の(何を以て実際というのか?)彼女の像と乖離してしまっている部分があることと思います。ただそこを差し引いても、モバマスでの描かれ方と路線が違うように感じました。

 

また、「幸せ」かどうかは気の持ちようというなんかフワッとした着地点も意味がよくわかりませんでした。彼女が努力家という、急にクローズアップされ始めた一面もお話を進めるための都合であるように見えますし、第一「幸せ」が「努力」だとするのは少し筋が違うと考えます。

もちろん、機を逃さないための準備とかそういうこともあるでしょう。ただ、これまでの積み重ねを振り返ると明らかに努力の埒外のインシデントが味方につくケースもあり、それこそが神秘性を醸し出す一因でありました。いわば、ご都合だけどそうと感じさせない構成の妙です。

それがどうでしょう。コミュの最後、おみくじを引く場面(なぜ努力という結論の後でおみくじを引いているのかも不明)で、二人は揃って中吉を出したではありませんか。仮に幸せが努力だというなら、凶のおみくじに書かれた内容をポジティヴに捉えるのが自然な流れだと思うのですが、いかがか。

 

正反対な二人が魅力のユニットなのに、その凸凹を埋めてしまっては面白みもへったくれもありません。中吉はその象徴です。それぞれの良さや持ち味を殺すばかりでなく、単純にお話としてもつまらない(っつうか、成り立っていない)。

かつて、私にとっての彼女はまさに理想のアイドルでした。それが危険な思い込みであることは承知していますが、「かこほたというオイシイ素材を使いながら、よくこれだけ酷いものを作れたな」というのが率直な感想でした。

そして悲しいことにこれら一連は公式であり、今後彼女らにはずっとこのお話がついてまわることになります。

 

幸せとはなにか。私は浅学にしてその答えを持ち合わせていませんが、これが凶兆であると認識できるのは不幸中の幸いと言えます。

うまいこと言おうとして失敗しました。

 

おしまいに

こうしてシンデレラガールズネムリヤモリPは無念の最期を遂げたのでした。

予告の時点でつまんなそうなのは明らかだったものの、元であっても担当アイドルの出番はやはり気になるという愚かなサガ。

もしもこの記事の読者がいるなら、きっと時間を無駄にしたと感じることでしょう。私と同じように。

 

翌昼追記:このままだと読後感があんまりにも虚無だったので、アニメシンデレラガールズから一曲貼って締めたいと思います。

 

https://m.youtube.com/watch?v=ni6ul9_4wIE

 

「ほら 寂しくないからね」

 

泣きたいわ。マジで。

 

それでは。