心の垢離

さしずめ文章の家庭菜園のようなもの。

【20年6月号】ヤモリかんさつ日記

 ネムリヤモリです。

 記事はある程度まとまった文字数で投稿しようとしていましたが、それでは更新頻度がこの前みたいになるし私の気持ちも億劫になってしまうので、試験的にツイッター的使い方をしてみようと思います。

 よろしくお願いします。

 

 

 

 まあそんな目次つけるほどの用意もしてないけど……

 今回キーボードに向かった目的は、端的に申し上げて今後の方向性みたいなことです。

 日曜の夕方になるといろいろ愚にもつかないことを考えてしまうもので、実際それは休むにも似た時間だったわけですが、まあちょっと疲れていたんでしょう。

 

 耳を傾けてみると、「空き時間の使い方、これでいいのだろうか」と。

 日ごろ「何もないがある」だとか言ってダラダラするのを信条としていた私ですが、そのへんのことがふと気にかかりました。

 相対的にどうこうではなく、イトマ時間ってボンヤリするか、そうでなければゲーム、当ブログの運営、あと楽器触るくらいしかないわけです(後半の割合がごく低いことは言うまでもありません)。驚くべきことに、それだけで私の容量は天井につっかえてしまうのです。

 

 実際、これはかなり恐ろしい気付きでした。悪い意味で今後の見通しが立ってしまったといえば分かりやすいことと思います。いやゲームとか楽しいし「今は」充実してると感じているけれども、これからもこの調子で人生が続いていくとすれば、それはちょっと興味深くはないぞ。

 

 吉良吉影がうそぶく「植物のような生き方」に賛同するところ大だった私が、いつの間にか欲張りになっていたみたいです。根っこのところで安定を求めるのは変わらないけれども、もうちょっと試してみてもいい気持ちが湧いてきました。

 

 で、珍しくやる気を出した私は何をしてみたいのか。

 自己表現、創作活動。あえて言葉にすればそのようなものです。

 

 といっても、規模は問題にならないほど小さいですけどね。こういうのは徹頭徹尾気持ちの問題です。

 おそらく尋常の方法で遺伝子を残せないであろう私(実際健康ですが、そのつもりになれないという意味で)。生きた証みたいなものを形にできればと考えたわけであります。それが世に一切の影響を及ぼさずとも構いません。残すことが重要です。残された方はきっといい迷惑でしょう。

 

 眠気が来たので結論に飛びますが、一番上、2030年の投稿にヒッソリと記してある「Bloodborne実況風プレイ動画」の作成に取り掛かります。

 立派な御託を並べて出してくるのが二次創作とか、私のミームはそれでいいのだろうかという気はしないでもない。ずっと作ってみたかったのです。

 

 完成の暁には、ぜひ観てください。

 それでは。