心の垢離

さしずめ文章の家庭菜園のようなもの。

【SS】後藤ひとり「この気もちはなんだろう」【ぼ虹】

◆後藤ひとり #1

 

 虹夏ちゃんが好きだ。

 それは間違いないのに、この「好き」というやつが一体なんなのか私にはわからない。嫌いとか、無関心とかの反対? バンドメンバーとして? それとも友達として?

 どれにも当てはまるようでいて、どれとも違う気がする。実際、リョウさんや喜多ちゃんへの印象とよく似ていて、でも同じではない。あとは、お父さんやお母さん、妹? 人生の経験値が少なすぎて引き合いに出せそうな関係がそのくらいしかないけれど、とりあえず家族ではないか。

 しばらく唸ってみたものの、これ以上進みそうにないので、どうすればわかるようになるか考えよう。いまここに二人の人物がいて、その間の矢印は正体不明。だったら、おしゃべりでもしてお互いのことを知ればいいんじゃない、と安直な方法はすぐに浮かんだけれど、それができるならコミュ障やっていないわけで。

 普段ならそうだろう。後藤ひとりとはそういう人間だ。しかし相手は下北沢の大天使こと虹夏ちゃんだから、なんやかんやでなんとかなるのでは? などと一方的に決めつけてしまった。でもそこを疑うと私の精神も崩壊してしまうので前提にさせてください。

 

 そんなわけで、次の練習終わりに切り出してみたのだった。

 

「にっ虹夏ちゃん! デートしませんか!」

「「「デッ!?」」」

 

 今日いちばん大きな声が出た。しかもなにか間違えた気がする。虹夏ちゃんはおろか、リョウさんも喜多ちゃんもこっちを見て固まっている。しかし無力な私にはどうすることもできないのだ。ただ沙汰を待つよりほかは、と思って様子をうかがうと、虹夏ちゃんは案外面白がっているようだった。

 

「ふうん、デートねえ? どこ連れてってくれるのかな、というか私でいいのかな~?」

「あっはい。大げさに言っちゃいましたけど、ちょっとお話できたらなって」

「そういうことか。たぶんここじゃなんだし、駅近の喫茶店でも行く? 電車大丈夫ならだけど」

 

 言葉足らずな私とはまさに対照的な、驚きの察しの良さ。しかもからかいムードを一瞬でひっこめてくれた。うう、優しい。

 

「先輩ずるい、って言いたいところですけど、また私とも行きましょう? というか学校でも話しましょうね」

「そ、そうですね。私からもお願いします、喜多ちゃん」

 

 なんだか成り行きで口にしたみたいだけれど、せっかく思い立ったのだから個別の機会をそれぞれ持ちたかったのは本心だ。喜多ちゃんとは個人練習の時間もあるし、近いうちに実現しそう。リョウさんはさっきから何も言わないけれど、以前歌詞を見てもらった時みたいな話ができればいいな。

 そうだ、いまは虹夏ちゃんに返事をしないと!

 

「言い出したくせにおまかせで申し訳ないんですけど、そんなに遅くはならないと思うので」

「おっけい。じゃ行こっか」

「はい!」

 

 計画は素晴らしく順調だった。なかば私が誘われたみたいな格好であること以外は。

 

 

◆伊地知虹夏 #1

 

 後輩からデートに誘われてしまった。

 ぼっちちゃんの言動が突拍子もないのはいつものことだけれど、まさかこう来るとは。といっても、名目というか言葉のあやみたいなものだろうけどね。

 下北沢駅は徒歩圏内にいくつか喫茶店があって、そこそこの時間まで営業しているところを知っていたので(来るのは初めてだけど)、事後の報告が欲しそうな二人に別れを告げて移動してきたところ。

 

「私はカフェオレにしようかな。アイスで」

「あっじゃあ同じものを」

 

 注文してしまうと少し気が楽になる。私も緊張していたのか。改まった空気はどうもやりづらい。さっさと切り出してしまおう。

 

「それでぼっちちゃん、お話って?」

「はっはい! ごっごご趣味は!?」

「それ完全にお見合いのやつだよ!」

 

 さすがに吹き出してしまった。いやあ、うちのリードギターは期待を裏切らないね。

 緊張も何もなくなってしまい、一周回って調子を取り戻す。今さらといえばあまりに今さらな話題だけど、確かにこういう話はしてこなかったかもしれない。リョウと三人でサイコロを持ち出して、あまり盛り上がらないトークに興じたなと懐かしく思う。

 それで、どう答えようか。私たちの間柄だし、ひとつしかないけれども、ぼっちちゃんは新しい一面みたいなものを知りたがっているのかも? と考えたところで、やはり直感に従うことにした。

 

「えー、実はバンド活動をさせていただいております」

「あっ同じですね。えへへ」

 

 なぜか丁寧になってしまい、また笑いがこぼれる。

 人のことを空回りさせておいて、えへへじゃないんだよえへへじゃ、とは思うけど、私自身こうしたやりとりに心地よさを感じている。つくづく憎めない子だ。

 しかしそうなると、音楽の話をしに来たのかな。少し掘り下げてみよう。

 

「結束バンドが形になってしばらく経ったけど、けっこういい感じって言ってもいいんじゃないかな」

「ですね。私も練習に参加するなかで、ちょっとだけ視野が広がったような気がしていて。あっ最初のころよりは、ですけど」

「確かに、最近はリズム隊のことを気にしてくれてるよね。えらいぞ~ぼっちちゃん」

 

 にへにへととろけてカフェオレに溶け込んでしまいそうなぼっちちゃん。でもぐっとこらえて口を開いた。私の肩にも無意識に力が入ってしまう。

 

「そ、それで、音楽の楽しさに改めて気づいたんです。一人で練習して上達するのも楽しいですけど、みんなと合わせるのは、その……自分だけじゃできないから。合わせること自体もすごく楽しいし、でもそれだけじゃなくて、みんなの役に立ってるみたいな感覚が……うう、私は勢いでなんてことを……すみませんおこがましいですよね」

「ううん、大丈夫。おこがましくないから、ちゃんと聞かせて?」

「は、はい。私の歌詞にリョウさんが曲をつけてくれて、喜多ちゃんが歌に乗せてくれて、虹夏ちゃんは後ろで支えてくれて。そういうのは今まで経験なくて、もうわけがわからないくらい楽しくて、結束バンドは私の大事な居場所なんだなって。特に虹夏ちゃんは、最初のきっかけをくれたから……本当にありがとうございますっていうか……そんな感じです、はい」

 

 なんてこった。聞いているこっちが爆発してしまいそうなことを急にぶっ込んでくるんだもんな。なんとか相槌は打ったけど、だいぶいっぱいいっぱいだよ。

 しかもそんな話を一対一でしてくるだなんて、どういうつもりだろう? 聞き役に選んでくれたのはちょっと誇らしいけど、今はそれどころじゃ……ああもう、私もわかんないや。

 

「と、とりあえず、話してくれてありがとう。ええと、私の方こそ……あの時手を取ってくれて、ほんとにありがとうね。私たちにとってもぼっちちゃんはかけがえないし、バンド活動を楽しんでくれてるみたいで、それも嬉しいよ」

「あっ良かったです。これからもよろしくお願いします」

 

 さっきは和やかな雰囲気になりかけたのに、一転して二人とも顔が真っ赤になってしまった。愛すべき後輩は照れながらもなんだかやりきった顔をしている。私はこの子の気持ちを引き出してあげられたかな。そしてこの場は先輩たる私が進めるしかないのかな? たぶんそうだろうなあ。

 

 いつもみたいになにか言おうとして口を開く。

 緊張はほぐれたはずなのに、言葉が出てこない。さっきの衝撃が予想以上に大きかったみたい。

 もともと、強引に誘っちゃった引け目がどこかに残っていたんだと思う。ぼっちちゃんも積極的に自分の話をするタイプじゃないから、二重の意味で思いがけない本音が聞けて不意打ち的に嬉しかったっていうか、私も冷静じゃなくなってることに今ごろ気づいたっていうか、要するにだよ!

 お願いだから仕切り直しさせて――!

 

◆後藤ひとり #2

 

 とても恥ずかしい話をぶちまけてしまった気がしないでもないけど、虹夏ちゃん相手だとやっぱり話しやすいな。みんなのためにも、もっともっと練習頑張らないと。

 ふと我に返ればなんだかおかしな雰囲気になっていて、これは私から切り出す感じなのだろうか。そもそも、何をしに来たんだっけ?

 

「あ!」

「あっ電車?」

「いえそうじゃなくて……って時間! そうでした!」

「どっちだよ! でも今日はここまでかあ」

「でっですね……」

「ぼっちちゃんがよければ、また続きを話したいな。じゃ駅まで送るね」

 

 肝心の結論が出ないまま、尻切れとんぼで終わってしまった。例の前提が崩れないで済んだのは確かだけど、こういうところが私なんだよなあ。

 改札で虹夏ちゃんに手を振って別れたあと、いつも通り脳内で反省会を招集する。普段しゃべらないくせに早口が出てしまって我ながら気持ち悪かったとか、計画では虹夏ちゃんの話を聞くつもりだったのにむしろ逆になってしまったとか、あげつらえばきりがない。特に、虹夏ちゃんが言ってくれたことに甘えて愚かにも次を望んでしまっていることは「さすがに調子に乗りすぎで賞」で重めの刑罰をくらっても仕方ないだろう。

 

 でも、思っていることをちゃんと言葉にできたし、虹夏ちゃんも聴いてくれた。

 

 この気持ちがなんなのかわからなかったけど、名前のない感情があってもいい。今はそう思う。

 

◆伊地知虹夏 #2

 

 我らがギターヒーローさんは、私の情緒を引っかき回して帰ってしまった。

 

 上の空で私も家に戻り、お姉ちゃんに「ただいま」を言った(気がする)。知らぬ間に身支度を済ませてベッドに寝転がっていた。やっぱりというべきか、気になって仕方なかったので、せめてざわついている理由を考えてみる。

 あの場でも言った通り、嬉しかった、のは間違いない。でもそれだけで片付けられないなにかが確かにあって、自分のことなのにわからない。きょうの場面がぐるぐると頭の中を回るけれど、それらはただ過ぎていって、答えを得ることはできなかった。

 心をたくさん使って疲れたんだ、と現状を再認識したところで、ようやく眠気が訪れてくれた。

 

 ああ、声にならない叫びとなってこみ上げる、この気持ちはなんだろう。(終わり)

 

本作は書き下ろしです。

 

2024/04/08追記

 

次回:

 

kokokori.hatenablog.com