ネムリヤモリです。
やりました。というか、そればっかりやってました。
さっそく見ていきましょう。
ゲーム・オブ・ザ・イヤー2019おめでとうございます。
評判に違わず、素晴らしいゲームだったと思います。
私が気に入ったポイントについて:
①体幹と剣戟のアクション
体勢を崩すという意味でBloodborneの銃撃を彷彿とさせる、しかし全く新しいシステムはややとっつきにくいものでした。まず、このブラボの経験を引きずるのが良くなかったんですけどね。SEKIROはSEKIROであり、「そういうものなのだ」という認識が必要でした。
で、慣れてからのこのチャンバラの、楽しいことといったらありません。最初は為す術もなくボコボコにされた敵(ボスに限らず)の動きが少しずつ見えてきて、あちらの体幹ゲージの色を更新できた! という手応えは非常にこう、やる気が尽きることなく湧いてきて楽しいです。そしてやめ時を失う。
本作の場合、私の先生になってくれたのは平田屋敷の孤影衆でした。あの霧がらすのとこにいる、彼です。
孤影衆 太刀足
こいつは今後何度も出てくる一般モブですが、率直に申し上げて何十回となくやられました。カメラも見づらいし
最初は特に下段攻撃をジャンプ→踏みつけで捌くのがとっさには難しく、危の文字を見てから慌てたのでは遅いということがよくわかりました。予備動作の予備動作が重要なのはまあ、アクションゲーム全体に言えそうですが。でも価値ある知見です。
息せき切って倒したあと、実は隠密忍殺が普通に有効と知って脱力したことまで含め、いい経験ができたと言っておきましょう。
私はゲームに非日常の感覚を求めるきらいがありまして、こうした「成長の実感」もそのひとつですね。普段からもっと成長を実感して?
また、ここで培った自信の半分くらいは九郎様のお守りによるものという残念な事実があります。
苦難の道は3周目だけ導入しましたが、まあ再びボコボコにされ、そのやられっぷりは自分でも笑ってしまうほど。情けないチャキチャキガードは焦ると今でもやらかしてしまいますから、完全に矯正されたわけではないけれども、ここでよりこのゲームに馴染むことができた感覚はあります。
FGO7章でレオニダスが言っていた、「不利なコンディションを抱えてどう戦うか」は今後も課題となりそうです。そうだよね、常に落ち着いて全力を出せるわけじゃないし。むしろウカツからのリカバリーにこそ実力が問われるのではと。
怨嗟の鬼
(急に印象深いボスの話)
苦難やってると、炎の攻撃は弾いても削りダメージがあるので霧がらすは頼もしい忍具です。発動しなければ消費もないし、タイミング怪しかったらとりあえず貼っとけがまかり通るのも嬉しい。
炎上のゲージは溜まるけれども、削りより全然安いと思いますね。
で怨嗟ですが、弾きがあまり有効でなかったりやたらタフだったり、総じて(初代教区長)ローレンスにそっくりです。そのへんで賛否割れるのはよく分かりますものの、私は避けて後隙に攻撃という伝統的なシーケンスがけっこう好きでした。そして曲もめっちゃいい!
怨霊かどうかが取り沙汰されることがあります。これは実際のとこよくわかりませんね。
泣き虫が効くのは川蝉との縁ゆえであり、神ふぶきは誰に使っても攻撃力アップの効果がある、と言われたら「せやな」と感じますし、いや怨霊だからこそそれらが有効なのだ、という意見も理解できます(優柔不断)
個人的には、怖気の攻撃をしてこないのもあって前者を支持するところであります。
ひとつ、とどめ忍殺のカタルシスで細かいことなどどうでもよくなるというのは言えるでしょう。
こちらは神ふぶきのエフェクトが残っていて好き。
カンスト鐘苦難バージョン(ゆうべ撮りました)。最後はだいたいこの端っこの方なんですよね。
獅子猿
獣血の主。
まあどちらも好きですが、ない方は猿として不自然な動きが多く、いかにも虫憑きなんだなあというのが不気味に伝わってきて良い。咆哮の時に首をグチャっとくっつけるのも怖くて最高です。
落ち谷で最初に会った時は、背後取れそうで取れないし降りたら戻れないしでかなり絶望したことをよく覚えています。
ぬしの色鯉がここに流れ着くのはどうも納得できない派。だってあの巨体ですよ。
2頭同時のやつは茶色を出待ちして爆竹連打でゴリ押してました。
ジッパヒトカラゲ気味ですが、チャンバラが楽しい破戒僧とか淤加美の長 静を対空忍殺で仕留めたりとかも好きです。周回を重ねると宮の攻略が面倒なので、無視して無理やり色鯉方面に抜けてましたが。為せば成る。
水中にいるということは当然地に足つけてないわけですが、ここを狙われると問答無用で打雷しちゃうのは最後まで納得できませんでした……
このことを「お米」と「うな胆」から「うな丼」だとか一部で言われているようですけど、うな胆は残念ながら潜水すると効果が切れてしまいます。お米はあってもいいけど、剛幹だけかけて(ほぼ気休め)被弾のたびに瓢箪飲めば十分な感はありました。
②舞台や表現、シナリオとか
私はゲームの中で日本を感じるのが好きです。ポケモンならジョウト地方。
システム面でも、端的に漢字で表現してくれるのは私のツボにまっすぐ来て非常に良かったと思います。死んだら「死」だし、「回生」も「怖気」(オゾケ派です)も出るし「若返」だって出る。漢字……いいよね。
なもんですから、葦名をただ歩くだけで美しい景色を堪能できてひとりで充実していました。また、湿気を伴う怪談的要素があちこちに散りばめられているのも心憎いですね。それは首無しとか水生村とかのあからさまな部分に限らず、ちょっと視線を外すと無造作に転がっていたりします。
たとえば、源の宮。
お屋敷と滝を融合させるセンスよ。廃墟好きとしては中庭部分の水中を探検するのも楽しい。
お寺やお城のつくりなどはYouTubeの「ゲームさんぽ」動画で興味深いお話がたくさんされていて、そういう切り口もあるのかと感心しきりでした。
NPCに関して。
まあ例によって皆あまり幸せな結末とは言えない感じですが、物売りの穴山にはぜひ触れておきたい。野盗から始まって、足を洗ったってのも最初は疑いの目で見ていました。小太郎もなんか良いように丸め込んで使っているようで、でも供養は実際していたかもしれないな、とか。そういった色々を経て内府襲来ですよ。
「………ああ、良く寝ている」というセリフから狼の心情が伺えますし、
「この一銭が、ありまさあ」に込められた趣といったらありません。でも悲しすぎるので何度もは見られない諸刃の(?)イベントでした。
エンディング分岐は、断然「竜の帰郷」派です。
単純に変若の御子のビジュアルだとかパンよりお米という信条だとか、しょーもない理由もいくらかはありますが、修験道の供養衆や信心深いあっちじゃ婆さんをはじめ、お寺の人々のキャラが私は大好きでした。仙峯上人との会話を見てからのおはぎで、御子であっても人間なんだなあとつくづく感じたり、自分で困惑するくらい感情移入がとどまるところを知りません。
(編注:「そなたはそなたの御子をひとりにするでない」の人は仙峯上人じゃないですね。一般僧正か?)
ポエット!
お話も、もっとも根本の解決に迫った印象で私は好きですね。ただ狼の物語としては、作品の副題のとおり「人返り」を選ぶのが筋なのかな。
③小ネタ
いよいよ脈絡もなくなってきましたが、怨嗟の鬼を送った後で供養衆方面から頑張って屋根ジャンプすると少し逆走できますね(する意味はない)
訳知りBBAの裏側から見ると炎が浮いてて判定もなかったり、鬼仏「大手門の出丸」と対座できたりと少しお得です。蛇谷の輿のあたりまで行ける模様。
それから、さっき申し上げた源の宮ゴリ押し攻略の続き。
静を無視して内裏から回ると直接「餌やり場」に行けるので、この橋も鯉に壊されず渡ることができます。ふーんって感じですね。
あとは、十文字といいつつ狼がやると全然十字じゃなかったりして。
多彩な流派をスポンジのごとく吸収する狼にも限界はあるのだなあ。
この技がいちばん美しいのはエマ殿でしょうね。
キャプチャ画像の残弾が鯉に食らいつかれそうな瞬間くらいになってきたので終わります。
苦難一回やって絶対無理だと思ったけど、思い出してはまた遊びたくなる魅力がありますね。ありがとうございました。
それでは。