心の垢離

さしずめ文章の家庭菜園のようなもの。

【舞台ぼっち】ひとりぼっち東京.2024

▲また行きました。とても楽しかった(15日昼公演)

 人物名の表記について、諸説あろうが役の名前で統一することにする。また記事の性質上、ネタバレというか公演の内容についてガッツリ触れるのでよろしく。

 

前回の模様:

 

kokokori.hatenablog.com

0.ことのあらまし

 前回の観劇以来、記事を振り返ってもわかるように私のぼっち熱はますますひどくなっていた。今後の付き合い方の話はあとでするけれども、とにかく「2023」がいたく気に入った私は無事円盤を購入し、封入されていたシリアルコードを使って最速のやつで今回のチケットを手に入れた。H列だ。

 本当はその前の週の「再演」も申し込んでいたが、色々あって中止になってしまった。初ライブの3曲目がドッペルゲンガーであることが劇場総集編で判明し、もしかしたらそこも反映されているかも……などと勝手に期待していたが、実際どうなんでしょうね。

 

1-1.当日(前)

 前回スルーした物販を利用するつもりではいたものの、相変わらず行き方が適当で11時ごろに品川駅に着いていた。新宿駅に移動し、東口のローレルさんでエビピラフを食べたりしているうちにそこそこ良い時間になり、あわてて歌舞伎町タワーに向かう。入場は確か開演20分前くらいで、物販がめっちゃ並んでいたので「ちょっと後で改めて……」と横目に見ながら着席。

 「ひなビタ♪」の時も思ったけど、けっこう気合の入った格好で推しを主張する人がそこここにいらっしゃる。その勇気に感心するとともに、そういうことに憧れる気持ちもないわけではなかったが、同時に個人的には(自分がそうするのは)なんか違う気がして結局踏み切れないのだった。なんだろうね、場には行くくせに根本的にシャイなんだよな。それから、お一人様は存外に少なかった。私の場合は元々友人がごく少ないこともあり、舞台にまでついてきてくれる者はもちろんおらず、仕方ないんだけど率直に言ってなかなか寂しかった。やっぱり観劇後の延長戦で感想とか話したいじゃない。

 

1-2.公演

 開演である。

 「夏休み 夏休み 楽しい楽しい夏休み」

 おや、初手はふたりちゃんだ。ここに限らず、舞台をはみ出す演出は臨場感あるし粋でよいと思う……などと呑気していたら、後ろからどんどん近づいてきている。すれ違う時など2メートルくらいの距離感でかなりどきどきしてしまった。そのまま舞台に上がったふたりちゃん、今度は観客を海扱いするわ話しかけるわでやりたい放題だ。他を知らないからアレなのだけど、舞台ぼっちはかなり自由な雰囲気で声とか出したりしてもいい感じなのだ。アイスブレイクというか、こちらの緊張を自然にほぐしてゆく様はまさにプロの前説。感服しました。

 ふたりちゃんを回収する流れで後藤一家が登場し、歌と踊りをまじえて「前回のおさらい」が始まる。親切! 前回といえば、そう、ぼっちちゃんと虹夏ちゃんの出会いの場面だ。階段に乗って虹夏ちゃんが姿を見せた瞬間、私の涙腺が爆発した。

 誤解のないように言っておくが、ここは楽しいシーンである。もちろんマイナスの感情で泣いたわけではなくて、生の虹夏ちゃん(としか言いようがない)にまた会えた感激だとか、「ああ、また前回みたいな楽しい時間が始まるんだな」という実感がそのタイミングでやってきたこと、あるいは「前回」以来の私の心情(どうでもいいが作文に取り組んできたことも含め)だとか、色々なことが思い出されて感極まってしまった、のだろう。H列はまあまあ前の方であり表情がよく見えたということもある。みんなそうなんだけど、特に虹夏ちゃんは一挙手一投足が比喩でなくいきいきと輝いていて……うう、なんか今思い出しても来るものがある。

 本編も始まらないうちからそんなに泣いてたら保たないぞ、ということで進行に戻るが、相変わらず再現度はアニメそのもの、シーンによっては超えている箇所すらありとても楽しい。江ノ島も完全に江ノ島で、特に印象深かったのはたこせんべいのくだりで「前回」に引き続きぼっちちゃんが嘘エンディングを召喚するところと、鳶に襲われたヤムチャぼっちが完全再現されていたところ。劇場総集編でもダイジェストながらしっかり拾ってたもんね。喜多ちゃんだけやたら元気で、階段を登りましょうの歌が始まるのもワケわからなくて好き。それから、細かいことながら4人で写真を撮るシーンではしっかりその場の写真がスクリーンに出てくるのも良い。前回でいうアー写のくだりなんだけど、やはり演出の妙が光っていると思う。

 見どころのひとつであるSICK HACKさんの♪ワタシダケユウレイなどもあり、お話は進んでいく。このとき結束バンドさんは観客、つまり私たち側ということで「音を聞け、音を」のくだりも左右から聞こえる。こういうところが本当に丁寧なんだよな。

 いよいよ文化祭だ。模擬店を回るシーンこそカットされていたものの、「ダーウィンが喜多!」や実写めんだこぼっちなどしっかり拾いながら……!? どうしたのだろう、また私の様子がおかしく……

 いやメイド服虹夏ちゃんかわいすぎないか?(アクリルスタンド販売中

 

 映像に乱れがあり失礼しました。今回本当にこんなんばっかりでもうね。

 メイド服前後に着替え尺が発生するので、場をつなぐためだけの歌とダンスのシーンが挿入されたのにはさすがに笑ってしまった。後半はもう開き直ってスクリーンで間違い探しとか始まる始末だし、もう最高。愛でよう、この瞬間(とき)を。

 

 そして結束バンドさんのライブシーンだ。まず♪忘れてやらない、アニメではイントロで喜多ちゃんが手拍子を煽るのが印象的だったが、そこも実際その通りに乗っていくことができる。これはね、現地で体験するともう本当に楽しい。

私も「ぼっち・ざ・ろっく!」の世界にいるかのような舞台特有の臨場感

 と前回の記事で書いたが、「かのような」じゃなかったね。観客役「そのもの」だ。開演前のくだりで述べたように、私はとにかく引っ込み思案で自分自身をすぐ単なるオブザーバーにしようとしてしまうのだが、そんな私をしてその場に存在することが自然だと思わせてくれる舞台の構造には脱帽するほかない。

 続いて♪星座になれたら。案の定と言うべきか、弦が切れるシーンから喜多ちゃんのアドリブ、ぼっちちゃんのスライドギターまでアニメそのままもそのままで、「再現できるんだ」という驚きもそこそこに演奏は止まらず、いっそ残酷なほどにお構いなしで曲が進んでいく。(そのままと言ったばかりだが)モノローグすらないので、ここの緊張感、空気が張り詰める感じは否応なく私にも伝わってくる。素晴らしかった。

 お察しの通りライブシーンでもボロボロ泣いていた。元々結束バンドさんの曲は日夜聴きまくっているんだけど、それはそれとして「曲作りや演奏はやっぱりメンバー4人の手によるものであってほしい」という幻想を恥ずかしながらずっと抱いていて、だからその幻想が実際に目の前で展開されるさま、またその場の一員として立ち会えることが嬉しかったのだ。

 弦切れたのに頑張ったね……!

 

 お話としてはアニメ通り「きょうもバイトかあ」で終わるのだが、大変嬉しいことにミニライブが続く。原曲も大好きで、劇場総集編で取り上げられては密かに大喜びしていた♪小さな海や去年に引き続いての♪青春コンプレックス、ついにフロントマンぼっちちゃんが現実のものとなった転がる岩、君に朝が降る、そしてなんといっても♪星座になれたら(弦切れないバージョン)と大盤振る舞いだ。続投曲はより原曲に近づけたアレンジに変更したという話が確かインタビューであったと思うが、これも恥ずかしながらその場で違いを汲み取ることはできなかった。ちょっと興奮しすぎですね。

 その後は舞台のお楽しみ、カーテンコールの時間。ぼっちちゃんの脈絡のない話し方も相変わらずで、喋るだけでこんなに面白いのずるいよな、とつくづく思った。今回初演奏となった志麻さんイライザさんにもお話を振るなど唐突ながらしっかり進行していて偉い。

 最後になるが、客席から名前を呼びかけてファンサしてもらえるやつ。羨ましいと感じながらも私の口から虹夏ちゃんを呼ぶ声はついに出てこなかった。我ながらどうしようもない、絶望的だ。心の中ではめちゃくちゃ叫んでいたんだけど、それではね、ということでせめて文字にしておく。

 虹夏ちゃん最高でした。ありがとうございました!

 

1-3.当日(後)

 祭のあとの寂しさは、また格別である。

 本来なら余韻を噛みしめながらさっさと帰りたいのだが、残念、物販があります。新宿の人混みと暑さにけっこうやられていたこともあり、ちょっとウンザリしながら並んだところ、意外にも30分くらいで目的のものを買って脱出することができた。具体的には公演パンフレットにクリアファイル、虹夏ちゃんのブロマイドやアクリルスタンドだ。前回は、舞台はとても良かったけれどもグッズまでは興味なかったのに、変わるもんだ。というか悪化してるよね。

 お昼が足りなかったので帰りの新幹線で駅弁を食べたり寝たりしつつ、京都で劇場総集編をもう一度観て帰った。時間がちょうどよかったことと、キャストさんのオーディオコメンタリーを回収できていなかったので。しかしもちろんそんな無理をしてはいけません。翌日(16日)は夕方までぐったりしていたことは言うまでもない。

 

▲円盤予約しました

 

▲あと別口のコラボのやつもしっかり回収しました

 

2.おしまいに

 そんな感じで観劇はとても楽しかったのだが、めでたしめでたし、で終わってよいのか? ということを最近考える。要するに色々な負担との兼ね合いの話だ。

 まずこの日のチケットや往復の交通費だけでもそこそこだし、何度か言及した劇場総集編も前編後編それぞれ6~7回くらい通ったと思う。加えて4月以降で作文に費やした時間なんて考えるだけで気が遠くなるくらいだ。すなわち「推し活」に際し、お金のほか、時間や体力も少なくない量を使ったわけだが、何がそこまでさせるのか振り返ってみると、その時々で「そうしたい」の気持ちが原動力になったから、という答えになるだろう。

 もう少し踏み込んでみよう。なぜ「そうしたい」と思ったのか? これまで投稿した作文(↓)にかなり赤裸々に書いてしまった気もするが、結束バンドさんの音楽やメンバー(とりわけ虹夏ちゃん)の人となりに私自身、ままならない現実を生きていくうえでかなり救われたことは否定できない。いやそんな消極的に認めずとも、明らかにその影響はある。これも過去の記事で書いてきたとおり、職場での人間関係が終わっていたりと、まあ私にも色々あったから……

 

kokokori.hatenablog.com

 なので若干(本当に若干か?→cf.過度な神格化)虹夏ちゃんに対して偏見が入ってしまっていることは事実だ。推し活と宗教の関連性について考えざるを得ないが、しかし、たぶんそれだけではナチュラルボーン引きこもりたる私をそう何度も外へ連れ出すには足りない。そもそもの話、私の推し活には元気が必要だからだ。作文ひとつ取ってもそうだが、義務感だけではとても続かない。活動が可能なだけの元気がある、プラス、そうすることが楽しいから「そうしたい」というわけだが、そこのバランスが最近ちょっと怪しいかもしれない、とは思う。分相応を越えて手を伸ばしすぎ、少なくともギリギリくらいのところまで来ているような気がする。

 これも特に作文がそうなんだけど、実は楽しさと同量の苦しさがセットになっていて、現状それを押していくことでしかお話を作ることができない。そうした構造から目をそらして楽しい面ばかり見ていたいけどそうもいかず、要するに手を広げれば楽しさに比例して負担も大きくなっていく、という当たり前の話。

 まるで篝火に惹かれては焼かれていく蛾のようだ。近づくと熱いから、ほどよいところで暖まることができたら一番いいんだけど、困ったことに私自身が近づくことを望んでいるフシがある。先に確認した推し活の仕組みを踏まえれば、元気じゃなくなれば前提を満たせなくなって活動も停止するとは思うが、たぶんそれってけっこうやばい状況なのでそうなるまでの段階で自覚しストップをかけたいところ。

 

 私はいま、元気だし、楽しい。だからそのまま続けたいんだけど、思う様進むときっと燃え尽きてしまう。一方で私にも分別はある。矛盾するようだが推し活は持続可能でなければならないとも思う。だからまあ、長々書いてきたわりにしょーもない結論だけど、私自身の健康だとかお金のことも考えつつ、末永く推していこうね、ということでひとつ。

 

終わり。