心の垢離

さしずめ文章の家庭菜園のようなもの。

【雑記】ヤモリ、結婚式にお呼ばれする

私です。

四連休(前回)よりも反省することもっとあると思うけど、きょうはきょうの記事を書きます。

よろしくお願いいたします。

というわけで、謹んで参列いたしました。

ホストのため、式の内容については言及しません。

行ってよかったです。

 

 

立志篇~出発

まず決心をかため、ルートの確認や荷造りをしなければならない。

私にしては珍しく「行きたい」という気持ちが少なからず原動力になったのだが、こと結婚式ともなればキチンとした大人の準備が求められる。ところが日ごろあまりキチンとしていないために、いくつかつまづきポイントがあった。

 

ひとつは服装である。男性はスーツ着てれば最低限なんとかなる分ハードルが低いと思うが、当てにしていたシャツが黄ばんでいて急遽買い直すハメになったり、ベルトを忘れて実家への往復が一度増えたりと要領の悪さが目立った。

 

次に持ち物。いわゆる祝儀袋や内袋に筆ペンで何やら書き込む必要があるらしい。

式の話自体は前からあり、さすがに新札の用意くらいはしていたものの、逆にそれで準備したつもりになってしまっていた。出発の前夜、慣れないお習字に励む姿の情けなさ。そういうの全部字ぃ見たらわかるんやで。やれるだけ丁寧に書いたつもりだが、ここは自分でもわかる程度には至らなかったはず。

そしてお泊りセット。私歴が短くないからもちろん大体はわかるし、忘れ物してもアドリブが効く分野ではあるが、詰め込んだらチェックリストから消す(従来)のではなく残しておくべきだった。注意力の外注というのか、省ける労力は省いていきたい。

 

往路~見知らぬ土地の見知らぬ宿

突貫工事の傷跡が色濃く残る翌朝、なんとか起きて飯を食って出発。最寄駅の電車にはかなり余裕があり、我ながらよくやったと思う。

移動中はGoogle Mapで現在地を確認したり、ゼブラックで漫画読んだりして過ごした。行きは半日犠牲して特急券をケチったので何度か乗換が発生する。ICカードに対応していない区画があり、乗り方や精算など新鮮に感じることが多かった。単にものを知らないだけである。

途中、昼食を選んでいる間に一本逃したりしつつも15時ごろ目的の駅に到着した。チェックインして荷物を置き、スマホの充電がてら休憩してから夕食めがけ繰り出す。

目的の店はかなり人気があり、また片道2kmくらいあるので明るいうちから歩いた。こうした知らない土地での散歩が私はけっこう好きで、地元のスーパーマーケットを探してみたり、行く機会などない習い事教室や中古車センターの看板など確認したり、あるいは橋の上から上流の写真を撮ってみたりと、これで案外楽しみが多い。

帰りには先のスーパーへ入り、訳知り顔で物色した後に朝食を調達。ちょっと郷土料理っぽい惣菜も買った。ここまで来るとかなり歩き疲れてくるので大人しく部屋に戻りたいが、会場の下見だけしておいた。宿からほんの5分ほど、翌朝の集合は10時である。

 

さて、ビジネスホテルの楽しみといえばホットスナックの自販機だが、たいへん残念なことにその数を減らしているようで、ここも例に漏れなかった。無いものは仕方がない(未練)

値段の割にきれいな浴場で久しぶりに脚を伸ばし、いまひとつ速度の出ない無料Wi-Fiで凍京ネクロの周回を眠くなるまで続ける。前日の夜ふかしと移動疲れと、慣れない枕とがせめぎ合っている。狭い部屋、冷蔵庫の音が存外にうるさい。

 

当日

それでもいつの間にか眠っていたのだろう、目覚めは爽やかだった。

念の為にもう一度風呂を使い、買っておいた飯をいただく。朝はかなりゆっくりできるので可能な限り身嗜みを整えておく。このへんは前乗りの強みなのだが、スーツを取り出したあたりからかなり緊張していた。フロントにも「こいつ結婚式だ」と思われているだろうな、と思いながらチェックアウト。

 

最中のことは、先に記したとおり詳しくは書かないことにする。

ただ最終的に感じたのは、(ホストとの思い出とか祝福の気持ちとかを前提にした)私自身の至らなさであった。

あくまで断っておきたいのは、本当に素晴らしい式と披露宴だったということだ。これから言及するのはあくまで私の内面の話で、それにも皮肉とか当てこすりとかの意図は全くない。要はしばらくぶりに外の世界を見て、感動と衝撃を受け、まあ、いろいろと眩しかったのである。

 

笑顔あふれるお二人の様子はとても印象深かった。目に見えるほどの幸せの波動。それは日々Twitterで生活の文句を垂れ流している私の荒んだ心をまさに浄化してくれたのである。「幸せのお裾分け」とかよく言うけど、本当だな、と感じたものだ。お召し替え退場に同伴させていただいた瞬間など、世界の中心がすぐ隣にある気すらした。

 

翻って私はどうだろうか。新郎新婦が気持ちを通わせる間、私は何を? 人生の分岐をこのまま進んで、その先にこうした幸せが果たしてあるのだろうか(結婚願望とかの主義主張ではなくいろいろな段階や手続きについて、それが可能かどうか)。

厳しい、と率直に結論したい。心を言葉にするのが趣旨の当ブログ「心の垢離」ではあるが、あまり掘り下げると血が出てしまうこともあるのだ。そうなのだ。

 

未来へ

なんだかあまり浄化されていないようだが、心の換気ができたのは紛れもない事実である。曇りが晴れると目につかなかった部分も否応なく見えてくる、ということにしてください。

 

それから手続きついでに、今回は前乗りしたが朝イチに出て新幹線を使えばおそらく間に合ったであろうことは付け加えておきたい。泊まるのもそれはそれで楽しいが、時間がもったいない感や荷物の量はやはり気になるところである。手間とかお金とかをもろもろ天秤にかけて、今後どうするか。

 

そして最後に、今回の私は全体的によくやったと思う。帰って来られたし。

細かい粗(矛盾)から根本的な問題まで内憂外患だが、それでも私は私自身のことが好きだ。もはや理屈ではなく、意地だ。

他人の幸せや輝きと比べてしまえば痛い目を見るばかりだけれど、現実と戦いながら手を伸ばし、自分の幸せを追求することはできるはず。そんな感じです。

 

披露宴で使われた中で、私も好きなこの曲を聴きながら終わります。

 

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